「面白い選挙にする」― 面白い選挙ってどういうこと?
積極的に政治に関わってこなかった自分がスタート地点
Q:本作を撮影し始めたきっかけはなんでしょうか?。冒頭、あまり政治に興味がなさそうな監督自身も登場しましたが、ご自身のそれまでの政治観も含めて教えて下さい。
最初はまさか自分が選挙のドキュメンタリーを撮るなんて思ってなかったんですが、映画にもある通り僕の監督作『東京自転車節』(※1)を観てくれた映画評論家の町山智浩さんから「水道橋博士さんが参議院選に出るから、ドキュメンタリーを撮ってみませんか?」と声をかけてもらったのがきっかけでした。水道橋博士のことはもちろん知ってましたし、テレビで観て笑わせてもらってたけどお会いしたことはなかったし、なんなら雲の上の人というか「本当に自分が撮っていいんですか?」という感じでした。
僕自身の政治観ですが…映画を観てもらうとわかるように、正直あまり積極的に関わってこなかったんです。選挙があれば投票には行くし、候補者の政策とかも一応チェックはするんです。選挙の時は少しは熱量があるのに、終わった瞬間に興味が薄れる。僕だけじゃなく、そういう人って結構いるんじゃないかなと思います。
でも今回、水道橋博士の選挙を追いかけることで、政治の根っこにある「選挙」という場にガッツリ関わることになりました。この映画を撮ること自体が、僕にとって政治を「自分ごと」にしたいどこかでそういう期待を込めて映画として参加することを決めました。
ジェットコースターのような選挙活動にしがみつきながらの撮影
個性豊かな “選挙の素人” が集まった水道橋博士選挙チーム
Q:実際に、水道橋博士の選挙に帯同してみてどうでしたか?。選挙チームには様々な面々が関わっていましたが、どのように活動を進めていったのか、また監督はどのように関わっていったのでしょうか。
あの1カ月間は、まさにジェットコースターでした。朝から晩まで全国を駆け巡る日々で、毎日が濃密すぎて、気づいたら終わってたという感じです。朝の辻立ち、街頭演説、選挙カーでの移動、全国各地での応援演説……そういう現場に立ち会ってわかってきたのは、博士自身も、博士のチームも、どう選挙を戦うべきかをわかっていなくて手探りだったということ。
でも、博士の選挙チームにはいろんな個性が集まっていて、まさに“選挙冒険パーティ”みたいな感じ。例えば、博士の弟子で選挙対策委員長を務めた山本君。僕より年下だけど、頭の回転が速くて、チームの方向性を決める舵取り役でした。原田専門家さんは冷静でクレバーな存在で、博士のメンタル面も含めて支えていた印象です。長澤さんは長年の水道橋博士のマネージャー経験を生かして、スケジュールや博士や身の回りのことを管理していたようでした。そして、選挙後半になって現れた三又又三さん。もう、いい意味でまったく空気を読まない(笑)。博士もチームも疲れが溜まって、ちょっと重たい雰囲気になりかけたときに、三又さんが現れると場が一気に活気づく。そういうバラバラな個性が集まって、ドタバタしながら全国を駆け巡る様子は、どこかロードムービーのような感覚でした。
「伝えるため」の技術と「本当に伝わっているのか?」という疑問
水道橋博士独自の工夫、ゲリラ戦と空中戦への期待感
Q:実際に、水道橋博士の選挙に帯同してみてどうでしたか?。選挙チームには様々な面々が関わっていましたが、どのように活動を進めていったのか、また監督はどのように関わっていったのでしょうか。
ただ、そんな楽しい部分だけじゃなくて、選挙を間近で見ることで、いろんな気づきもありました。例えば、選挙には「伝える技術」がすごく重要だということ。途中から選挙アドバイザーの堤さんが加わって、博士に具体的なアドバイスをするんですが、それが本当に目から鱗だったんです。選挙カーでの演説はなるべくゆっくり走って、アクセルを踏まない。投票の仕方をはっきり説明する。ただ名前を連呼するだけじゃなくて「こうやって投票してください」と具体的に伝える。そういう細かいテクニックの積み重ねが、有権者に届くかどうかを左右するんですよね。
でも、一方で感じたのは「この短い期間で、本当に政策が伝わっているのか?」という疑問です。選挙戦ではどうしても「名前を覚えてもらう」ことが最優先になる。候補者の政策や理念をじっくり語る場は、実はそんなに多くない。だから、選挙期間中に有権者が候補者の本質を知るのは、すごく難しいなと感じました。選挙の仕組みを知れば知るほど、それだけでは足りない部分があることにも気づかされる。今回の映画は、そうした気づきを観客とも共有できるものになっていると思います。
安倍晋三 元首相銃撃事件の衝撃「民主主義の根幹が揺さぶられた」
選挙期間中だからこそ、テロによって相対化された民主主義の重要さを再認識
Q:選挙を身近に体験したのは初めてかと思いますが、監督の政治観は変わりましたでしょうか?選挙の終盤、安倍晋三 元首相の銃殺事件というショッキングな事件もありました。
一国の元リーダーが選挙期間中に殺される―これはもう、テロ以外の何物でもないと感じました。事件の背景も分からないまま、ただ「民主主義が根本から揺さぶられた」という恐怖があった。選挙という民主主義の象徴的な場面で、暴力が公然と発生したことに対して、社会がどう反応するのかがすごく気になりました。
この事件が日本の政治に何か変化をもたらしたのか?というと、3年経った今、大きく何かが変わったとは言い難い。社会の反応は意外なほど穏やかで、なんとなく「なかったこと」みたいになっている気もする。それが良いことなのか悪いことなのか、正直まだ答えは出せないままです。少なくとも政治を「遠いもの」とはもう思えなくなりました。
奇跡の当選に、チーム全員が感無量
「国会をつぶさに伝える」水道橋博士議員への期待
Q:水道橋博士は見事当選しましたが、国会議員として期待したことはありますでしょうか?
投開票日は本当にドキドキしました。20時に開票が始まって、深夜2時ごろに当選が決まったとき、博士自身も「え、本当に?」と驚いていましたし、チームの皆さんも感無量でした。選挙活動を間近で見てきたからこそ、この頑張りが報われてほしいという純粋な気持ちがあったからこそ、素直に嬉しかったです。
選挙中の博士の公約、政策提言というものが本当にどこまで博士の中で現実的だったかというのは、正直少し曖昧な部分もあったかと思います。ただ、僕がいちばん期待していたのは、博士が国会議員として国会でどのようなものを発見していくかということです。もちろんスラップ訴訟の件というのは立候補のきっかけではあったんだけども、実際に博士が国会の中でどういったものを発見して、また自分たちに伝えてくれるか、そういう期待とワクワクはものすごくありました。
青天の霹靂だった「鬱病による休職」/ストップした映画完成への道
山本太郎代表「休める社会を目指す」メッセージは一筋の希望
Q:水道橋博士は国会への初登院後、約3カ月で鬱病により休職、その後辞任となりました。率直にどのように感じましたでしょうか?
初登院を撮影したのが2022年8月。映画チームとしては、選挙戦を追ったこの作品を年内に公開しようと、編集作業を急ピッチで進めていました。でも、そんな中で博士の休職のニュースが飛び込んできたんです。本当に晴天の霹靂でした。
ニュースを見た瞬間、「え?」ってなって、すぐに博士チームの皆さんに連絡を取ったんですが、誰も詳しい状況がわからない。そんな中で、山本太郎代表の記者会見があり、撮影に参加しました。山本代表の「休める社会を目指す」というメッセージは、あの混乱の中でひとつの希望のように感じました。
でもその数カ月後、博士は議員辞職を決断しました。これで博士の国会での活動は終わることになったわけですが、うつ病というのは本当に難しくて、本人の意思だけではどうにもならないものなのだと思います。体が動かなくなってしまう、何かこの波が収まるまでは身動きが取れない。ここは博士のある種の回復を待つしかないなと思って、映画の完成も一旦諦めることにしました。
鬱病からの復帰/喜びと今後の不安
「選挙」の映画から「一人の人間が、再び生きる道に向かう」映画へ
Q:鬱病からの復帰後、水道橋博士の自転車配達員としてのリハビリ?に帯同します。これはどのように生まれたシーンなのでしょうか?
博士が復帰するというニュースを聞いたのは、休職から約1年後のことでした。本当に嬉しかったです。映画のことは二の次で、ただただほっとしました。でも、その一方で不安もありました。選挙のときの博士はある種、躁状態のような、祭りのような熱量の中にいたんですよね。選挙チームと一緒に駆け回り、毎日演説をして、まるで高校野球の青春みたいな時間を過ごしていた。でも、その輝きが一度失われた後、博士はどんなふうに戻ってくるんだろうか?そして、自分はその博士とどう向き合えばいいんだろうか?そういう迷いがありました。
でも博士の方からも連絡をくれて、改めて映画の中でも「このうつ病の経験を、自分と似たような経験をして悩んでいる人、困っている人も含めて家族の人に向けて伝えたい」という風に話していただいてくれた時に、この映画自体もその方向に向かえばいいんじゃないかという風にアイデアがだんだんと広がっていきました。
選挙の映画だったはずなんだけども、何か一人の人間が、再び外に出て生きる道に向かう。そういう映画になるんじゃないかと思いました。博士が自転車配達員をやってみたいという提案は、僕の『東京自転車節』を見てくれたということも影響していると思います。実際、自転車配達員はうつ病のリハビリとして実はいいんだということも言われていました。僕自身、自転車配達をしていたから、その感覚を共有しながら博士と一緒に走れることには、すごく意味があるように感じました。また博士が少しずつ前に進んでいく。その一歩を映し出すことは、この映画にとっても、とても大事なシーンになると思って撮影しました。
民主主義そのものを表している言葉「Me, We」
社会の一員であることへの自覚にたどり着く政治ドキュメンタリー
Q:これまで水道橋博士も監督もモハメド・アリの「Me,We」という言葉を引用していますが、映画が完成した上でどのようにこの言葉を捉えていますでしょうか。最後に、完成した作品をどのように観てもらいたいか、教えて下さい。
この映画は、選挙のドキュメンタリーとして始まりました。博士が選挙戦の中で何度も発していたモハメド・アリの「Me, We」という言葉。「私たちはあなたであり、あなたは私たちである」という言葉は民主主義そのものを表していると思います。誰かが代表として立ち、みんなの思いを背負いながら社会を良くしていく。その構造を目の当たりにすることで、選挙というものの意味が少しずつ実感できるようになりました。
うつ病というのは、まさに「Me, We」の反対の状態とも言える孤独な状態になる病気です。どんなに周りに支えてくれる人がいても、それを感じ取ることができなくなる。家族や友人がそばにいても、孤独に沈んでしまう。だけど、博士のその症状というものは決して一人じゃないんです。同じように鬱病であったりとか、この社会の中で孤独で悩んで苦しんでいる人が、何かそういう人たちに対して「一人じゃない」ということを伝えたいと思いました。同じような悩みを抱えている人がいる。
山本代表が言ったような「休める社会、やり直せる社会」。でもそこで大事なことは、一人ひとりがきちんと社会の一員であるということを自覚するということです。孤独な気持ちになったとしても、決して一人じゃない。一方で、自分自身が生きるためには、社会の中の一員であるということ。その両方の自覚が大事なんじゃないかということを、この映画を見て伝わってもらえたら嬉しいです。
未来に向かってチャリをこげ!
コロナ禍を生き抜くリアル・ロード[労働]ドキュメンタリー
2020年3月。山梨県で暮らしていた青柳監督は、コロナ禍で代行運転の仕事が遂になくなってしまう。ちょうど注目されてきた自転車配達員の仕事を知り、家族が止めるのも聞かずに新型コロナウイルス感染者数が増えていた東京に向かう。緊急事態宣言下に入っていた東京で、青柳監督は自転車配達員として働きながら、自らと東京の今を撮影し始めた。働くということとは?“あたらしい日常”を生きることとは?あらわになった“ニュートーキョー”を自転車配達員の視点で疾走する路上労働ドキュメンタリー。
全編スマートフォンとGoProで撮影された本作は、さながら自身が自転車配達員になったかのような疾走感と躍動感を感じる映像で、観客は共にコロナ禍の東京を駆け巡る。勢いだけではない現代への批評性も兼ね備えた作品として高く評価された。
2021年に全国劇場公開。その後、イギリスのシェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭を皮切りに、多数の海外の映画祭で上映。またアメリカでの劇場公開、公共放送PBSの世界のドキュメンタリー枠に選出され、北米全体で放送された。
映画評論家の町山智浩は本作を絶賛。水道橋博士の参院選出馬の際、密着ドキュメンタリー映画の作り手として推薦、『選挙と鬱』が生まれるきっかけになった作品でもある。